先ほど、3泊された愛地からのお客様達が空港へと出発されていきました。
おじさんなので写真は撮れてないのですが、また来夏きて下さるとの事なのでその時は必ず(笑)。
二人連れのお客様だったのですが、いわゆる「釣り師」。
遊漁船で沖合いまで出て、カジキマグロなどの大物狙い!
だったんですが生憎の天候で、
狙っていた1m越えの大物こそ釣り上げられないものの80~90cmクラスは何本も釣り上げたとの事。
それはそのまま知り合いの居酒屋に運び込まれ(そこの女将も乗り合いで釣りに来ていたとか!)、
その晩の肴になっていたようです。
夜遅くに代行運天で帰ってこられ、かなりイイ感じになったおられました(笑)。
なかなか本州からの釣り目当てのお客様は少ないと聞いてます。
これからはそういったお客様もターゲットにして、
目の前から(ホント宿の前10mで港なんです!)出港~沖合いフィッシング~寄港~すぐにお宿、シャワー、昼寝(?)~
なんて事もやってきたいですね。
そんな計画も進めながら、ちまちまと新規開拓しています。
ひとつは、この間那覇のみんなと行った沖縄そばのお店「すーまぬめぇ」。
けっこう有名なお店らしく、「すーまぬめぇ」とは「潮間家の前」って沖縄の言葉らしく、ここが潮間家なのかな?沖縄の古民家がそのままお店になってる素晴らしいところ。
赤瓦屋根と南国の緑が沖縄っぽさを感じさせてくれる店構えで、
店内も懐かしい家に帰ってきた感じの畳の間。
平日でもお昼時やったからかほぼ満席。
さすが有名店。
頼んだのは「ソーキそば(大)¥650」。
(並)でよかったんやけど、普通のってったら「あ、じゃあ大ですね。」って。
沖縄はよく食べるから大か小が普通らしい。
そう言やあ「食堂」ってとこでも大概おかずは徳盛サイズあったなぁ。
と「じゅうしい」ってのは炊き込みご飯の事。
これは口にあってかなり美味かった。
沖縄そばも店によって味が全然違って、正直あまり美味しくない(味が薄い?)のもあるんですが、
ここは美味しい。
さすが有名店(二度目)。
ただ、写真の奥の椀、緑のモノが見えるでしょ?
「ヨモギ」なんですが、自分にはちょっときつかったですね。
そばに浮かべて食べるらしいですが、ひょっとして間違ってたのか?
とにかく雰囲気含めて満足しての帰り道、
店の塀の外にこんなメッセージ?が。
多分沖縄民謡(三線の唄かな?)。
どういった意味なんやろ?
昔の人の恋愛の歌やったりするんかな。
そして次は、糸満市の観光?スポット「喜屋武岬」。
この漢字で「きゃんみさき」って読む。
本州の人間で予備知識無く誰が読める(笑)。
でその喜屋武岬、地元の人のサーフスポットらしく、
興味もあってどんなトコか見てきたんですがこれが、絶句!
普通に砂浜があって海の家的なモノや堤防なんかがあると思ってたのが、
なんと断崖絶壁!
何人かサーファーさんも来てたけど、この日は風が強かったのか波が悪い言うて帰ってました。
それもそのはず。
断崖を降りて海へ入るらしいけど、どう見ても浅瀬の岩礁ばかり。
下手したら打ち付けられてお陀仏・・・
て事にもなりかねんやろうしねー。
やっぱりせっかく海の国へ来たんやし(海のない京都(市ね)から来ました)、
サーフィンもやりたい!ってのはミーハーすぎますか?
と、浮かれてばかりはいられません。
なぜかと言うと、この海はただ綺麗なだけの海ではないからです。
ここ沖縄そしてここ糸満の海は、
悲しい歴史を辿っているのです。
国道331からそれて細い道を走り、
さとうきび畑や
真夏の小路っぽい所を抜けると、
唐突に海が現れます。
そこに一つのモニュメント。
「平和の塔」。
「第二次世界大戦」。
その大戦時、日本唯一の上陸戦となった沖縄戦で、
本島に攻め込まれ徐々に後退していく日本軍、
軍隊も民間人も本島南部のここ糸満まで追い込まれ、
洞窟などに逃げ込み終戦を迎えた人達もいたようですが、
少なくはない人達が、敵国に捕まる位ならとこの南端の断崖から身を投げて死んでいったそうです。
そういった戦史の中で「ひめゆりの塔」と言う文学も誕生しています。
恥ずかしい事ですが自分にとっては教科書の上でしか知らない「歴史」。
「大化の改新」や「関が原の合戦」、「大政奉還」と言った歴史上の事実と同じ様にしか肌で感じていない事。
しかしここ沖縄では、その「事実」が確かにあった「過去」としてこの場にありました。
まだまだ地元の人と深くは話せてはいません。
しかし、若い人でさえそういった事柄を前提として暮らしています。
以前沖縄に来た時、喜屋武岬の少し先にある摩文仁という所の「平和記念公園」に行った事があります。
沖縄戦で亡くなった全ての人(日本人もアメリカ人も、韓国人も中国人も・・・)の碑銘が刻まれた石碑「平和の礎」が立ち並び、
真っ直ぐに見れないような酷い映像や写真、資料を展示している「沖縄平和祈念資料館」、
それらで知った感じた記憶が、少しだけ肌で感じてきました。
当時を生きてきた方、
親を亡くされて生きてきた方、
親達から話を聞いて育ってきた方、
みんなそれぞれの中に抱えて生きてるんでしょう。
ただただ、畏敬の念が胸に浮かびます。
ここ沖縄は、そう言う側面もあった事を思い出させてくれました・・・
帰り道、「町中」って感じの商店で道を聞いたときのおばぁ(おばあちゃんの事を「おばぁ」って。なんだか親しみ易いですね)が、
すっごい優しくって、
なんだか嬉しい気持ちになって帰りました。