陽はまた昇りまた繰り返す

おさるのおやど糸満

2012年02月10日 11:18



「旅」をされている方って、とんでもなくパワー持ってますよね。

御年◯◯歳の長野からお越しの笠井様。

一人旅が大好き、相当な経歴お持ちの方なのですが、

いつもはホテルのところを今回「初!」のゲストハウス泊まり!

そんな際におさるのおやどを選んで頂き本当に有り難く思います。

予約で来られた高田様、この方は東京の某大学4回生で、この就職難のなか、倍率3桁!をくぐり抜けて就職決定!

その前の長期休みで沖縄に来られました。

こちらも「初」沖縄で不安もあったらしいのですが、

同じ「初」同士で初日はお酒を飲みながら沢山のお喋りをして、とても喜んでもらえました。

そして翌朝、笠井様は出立。



娘さんと一つ違いの高田さんとパチり。

そうです、これもまた「縁」なのでしょう、高田さんと笠井様の娘さん、同じ大学だったんです!

「旅」って、本当に不思議な「縁」があるものです。

そして笠井様はまたどこかの「縁」を求めて、旅立って行かれました。

いやぁこのお年であの行動力。

やはりそれだけの事をされて来た方って、「パワー」が違います!

どこまで追いつけるやら。

そして数分後、玄関が開いたと思ったら笠井様(笑)。

「刺身買って来たからみんなで食べよ!」って(笑)。



行くと言っていた公設市場の中の「あんまー市場(魚屋の集まってるとこね)」。

ひょっとしたら晩に戻って来てまた3人で食べよう、って言っていてくれてたのですが、

「晩じゃわからなからさー」って、

「今」買って来たと(笑)。

この行動力。

「今出来る事を後に回さず今やる!」。

素晴らしいです。

見習わねば。


















そして高田さん、行きたいと言っていたのは「戦趾」。

「ひめゆりの塔」、「平和祈年公園」、沢山の人が避難していた様々な「壕」。

この土地でおこった戦争の爪痕を見ておきたいと。

彼女がこの春から働く事になるのは「報道」。



沖縄に大学の友達がいたりと縁もあっての初来沖で、

机でしか関わりの無かった「沖縄戦」の一旦でも、

自分の目で見ておきたかったと。

この時期沖縄は修学旅行のシーズンでもあり、

沢山の観光バスと修学旅行生がいる「平和祈年公園」へ、

仕事の相棒となるであろうカメラを持って、

彼女は歩いて行きました。




















そして自分も、「健児之塔」と言う所に赴きました。

「平和祈年公園」を出て国道で1分もたたない所にあります。

「健児」とは、人名ではなく「血気盛んな男子」の意味で、

戦争でなくなった男子の慰霊の塔です。



駐車場から、波の音が遠くに聞こえる方へ道は続きます。

亜熱帯の植物が生い茂る斜面に下りの階段が緩く降りて行き、



途中にも慰霊碑が幾つか設置されています。

太平洋が優しく広がる斜面の、緑豊かな中を抜けると、

少し開けたスペースに「健児之塔」がありました。



幾つかの慰霊碑や碑文、モニュメントがあります。

なくなった方の名前が刻まれています。

「健児」をイメージした3人の像があります。

お祈りに来ていたのか、おじいさんが一人でこの場にいました・・・

67年前に、「この場所」で、「現実」があったということです。


















この場所は、本当に自然が漲っている所です。

「海」も、「空」も、「山」も、

自然そのままで溢れ返っています。



こんな良い所なのに、

悲しい出来事があったんですね。

体験はしていなくとも、

せめて知って、忘れない様にはしていきたいです。

そして、

「その上で生きて」いきたいですね。


















とまーガラにもないお話でしたね。

また、いつものグダグダ日記に戻りますんで、

よろしくです。

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